小さな自分と、大きなブラックボックスのこと
最終更新: 2019年1月26日

ちょっと前のことだけど、どうもお腹がゴロゴロするなと思って病院でよく調べてもらったら「好酸球性腸炎」という病気だった。
名前がどうにもいかめしいけど、要はアレルギー性腸炎のことだ。大腸や小腸がなにかの食べ物に反応していて不調をきたしているらしい。
だからといって症状はお腹にちょっと違和感?ぐらいのことである。
別におヘソがクシャミしたりはしないので、よし放置の方向で…と一人勝手に治療方針を固めた矢先に、ドクター曰く、こういう自覚症状の少ない不調がゆくゆく大きな病気の引き金になるぞと、こう真顔で脅すものだから、しぶしぶアレルゲンを特定せざるを得なくなった。
が、とは言えこれが難しいのだ。
どうも食べた瞬間に発症するわけではないらしい。大抵の場合、数日遅れ。
しかも、これまで平気だった食べ物もある日突然アレルゲン化するという。
口にした食品の数だけ、そのまま病原の可能性いうわけだ。
あーやれやれと頭を抱えつつ、しかしふとこんな時、つまり自分の身体とまじまじと向き合うとき、決まってその抱えた頭に浮かぶ定番の問いがある。
一体自分って誰のことなんだろう。自分って「どれ」のことなんだろう。
あまりに根源的な、でも少し楽しいそんな問いにしばし腕を組んでしまう。何十年生きてもまったく不思議なのだ。自分って何なんだろう、本当に。
ヘソの下で不都合を叫ぶ臓器があって、本来これも自分のはずなのに、第三者の医者にその意を翻訳してもらわなくては何を言ってるかわからない。
どうも聞けば僕の大腸は、嫌いな食べ物があるよ!と言いたかったらしい。
しかし今度はその食べ物が何かわからない。
当然大腸自身はわかっているくせに僕には決して教えない。僕の大腸は本当に僕なのかとまじまじ見つめて疑いたくなる(と同時に、ちょっとワクワクする)。
例えば花粉症なんてもう基本原理は解明されてるわけだから、僕がしっかりそのメカニズムを理解して、よし金輪際もう二度と花粉を外敵とは勘違いしないぞ!と固く念じれば、それでもって花粉症は治るべきだ。しかしもちろんそうはならない。
僕の知識がどれだけ更新されようが、僕の鼻は「あんたはあんた、鼻は鼻」と線を引き、ここ十年、はた迷惑な勘違いを延々と続けている。
当たり前ではある。でもやっぱり僕には不思議です。

ブラックボックスなのだ。
臓器と聞くと赤色の塊を想像するけど、実際はどんな臓器も、この脳さえも皮膚の下の深い暗がりの中に無言のままに置かれていて、特別な事情で開腹してわざわざ光を当てない限り、真っ黒が日常の姿である。
僕とは、ほんのひとつまみの僕と、巨大なブラックボックスでできている、そうつくづく実感する。
よく人は、宇宙全体の巨大さに比べれば人間なんてちっぽけだと言うけれど、僭越ながら言わせてもらえば、わざわざ宇宙全体のような極大を持ち出さなくても、まず自分全体と比べたって自分という存在は小さな切れっぱしみたいなものなんじゃないだろうか。
結局アレルゲンは、ミルクあたりを疑っている。あるいはコーヒーも怪しいかもしれない。
どうやら僕の腸は、僕の大好きを大嫌いらしい。
やれやれだ。でもちょっと不思議で楽しくもある。身体は今日も他人である。