ノットワーズ・久下の、身の回りの出来事やお知らせ、

わりとどうでもいい雑感所感など。

  • kuge

よく歩くことと、「住宅街セラピー」について。

特にそうする必要もないのだけど、毎日だいたい10キロから15キロくらい歩きます。


朝陽にかすむ東に向かって世田谷の住宅街をユタユタと歩きはじめて、打ち合わせなり作業なり、そういうのを済ませたら渋谷あたりでコーンを回って西の空に引き返す。

多いのはそういうパターン。



住宅街が好きです。だから歩くといってよいと思う。


歩きながらアイデアを考えていると人には一応言っていますが、嘘じゃないけど、そっちは大義名分みたいなもの。

本質的なところを言えば、僕がむやみやたらと歩くのは、ただ一心に住宅街が好きだからで、なぜ好きかといえば、そこに癒しを覚えるからです。


住宅街セラピー。あるいは住宅街トレッキング。寡聞にしてそんな言葉は聞かないけど、あくまで僕に限っていうと、住宅街は森の中よりヒーリング効果がうんと高い気がします。


見知らぬ誰かの家から漏れる掃除機とか洗濯機とか、そういうよくある生活音がしみじみいいんですよね。森で言えば野鳥のさえずりです。違うか。でもそんな感じ。

あるいは、どこにでもある古びた小さなマンションの中にそっと吸い込まれてゆく手を繋いだ親子とか、いいんですよね。




なぜなんだろう。なぜ住宅街にかくも僕は癒されるのか。


正直自分の中にも明快な答えがないのだけど、思うに、家というのはヒトという生き物の巣のことで、つまり、誰かが人生を賭して守りたいアレコレがまるっとすっぽり視覚化されたものなのだろうと思う。


その大事なものがさらにひしめき「住宅街」と呼ばれているわけで、だから僕はそこを歩く時、ある種の高密度なぬくもりの中にいるような、よーいどんの号砲の届かない最後の安住の地にいるような、そういう優しい安堵を覚えているのかもしれません。

まるで極寒の地に形成されたペンギンのコロニーみたいに。


愛は住宅街にある。それもひしめきあうように。

誰かの家の窓辺に覗く、たぶんもう何年も据え置かれたままの古ぼけた時計やら人形やら、そういうのとか、いいんですよね。



0回の閲覧

© 2018 notwards