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  • kuge

「この作品の背景にある社会問題は?」について思うこと。



背筋を伸ばして、ちょっと真面目な話を今回記したいと思います。一応書いておきたいと思った。文章もちょっと硬くなると思います。


1人称童話が金賞受賞して以来、メディアの方から(ありがたいことに)取材していただく機会が度々あり、その際に必ずと言っていいほどご質問いただくのが「この作品の背景には、どんな社会問題があるのか」です。メディア側が求めているのは常に文脈(物語)で、コンテンツ+コンテクストでワンパッケージ、そういうことだと思う。僕も時によっては取材する側です。だから聞きたくなる気持ちは本当によくわかります。


しかしご質問をいただくたび、正直僕は返答に窮してしまうことになる。先方から期待されている答えは明らかで、ズバリ「いじめ問題」です。一応断っておくと、これはメディアの方にはなんの落ち度も勇み足もなく、実際、GD賞の企画意図にそうしたことを他ならぬ僕自身が書いているので、今更返答をためらう方がおかしいわけで。ですが、いざ聞かれるとどうしてもさらっと口にできない。なぜなら本来いじめ問題は、僕のような知識なき門外漢が絵本を片手に「ソリューション」を語れるほど、生易しい問題ではないからです。(※本当はその手前に、社会問題へのソリューションを「デザイン」の射程に捉えることの是非や線引きがきっとある気がする。この世のあらゆる解法を「デザイン」に組み込んだ場合、本来「デザイン」が備えていた独自の、高純度な意味性や意義がじわじわと希釈化する気もして。「沖合のここまでがデザイン」と呼べるような、ある種の領海意識というか、「いい塩梅」が今はまだない感じなんだろうか。)




1人称童話は、子どもたちが、その豊かな想像力を「人の心」に向かって垂直に解き放つことを目指しています。それゆえ「相手の気持ちを考える」いじめ問題と、語る上では相性が良いし、実際そうした観点から寄与してほしいと切実に願っています。一方で、これはあくまで私見なのですが、ある種のいじめは「相手の気持ちを考えて」ますますエスカレートするものな気がします。相手の気持ちが想像でき、その苦痛や苦悩がリアルに思い描けるがゆえに、ますます楽しい。おそらく学年が上がるほどに、こうした嗜虐的傾向が増すのではないか。


子供のうちから想像力を涵養していじめ問題を云々…というのは話としてわかりやすいのだけど、問題の深刻さや複雑さに対してちょっと一面的すぎる。直球すぎる。そんな思いが僕の中にあるもんだから、メディアの方から質問を受けたとき、どうもモゴモゴしてしまうわけです。


だから聞くな…ということではなく。聞いていただいても大丈夫です、ただしモゴモゴするよ、ということを断っておきたかった。また、いじめ問題に対して、ドヤ顔で1人称童話を差し出したいわけでもない。問題のシリアスさに対して、それはおこがましいことであり、「所詮微力に過ぎないがお力になれたら…」その程度に捉えていることも念のため書いておきたかった次第です。


人間という生き物の中に息をひそめる悪しきものに、子どもたちの魂が絡め取られることのないように。所詮微力にすぎませんが、例え微力でも僕の絵本がそのためにお役に立てるのなら幸甚に思います。

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